中国掛軸はどこから見つかる?

中国掛軸は高額で売れる?

仇英
仇英「漢宮春暁図」

中国掛軸は、中国富裕層による買い戻しが騒がれた一時のブームのころよりは価格も落ち着いてきましたが、それでもまだ高値で取引されています。

斉白石・呉昌碩など一般的に知られている著名な作家以外でも、中国の長い歴史の中で、掛軸の作家は相当な数に上り、多様な作家において高額が期待できます。

また、日本で見つかる中国掛軸は特に評価されるという点も中国掛軸が注目され続ける理由の一つです。
日本人は古来より中国からの文物を大切に鑑賞し伝えてきましたが、掛軸についても、表装を施し、桐箱をあつらえて、代々丁寧に保管していることが多く、中国で見つかるものより保存状態が良いことが多いのです。加えて、中国に比べれば贋作が少ないという利点もあります。

日本で出品されるものは良いものが多い、それに自国の美術品を買い戻したいという感情も加わって、中国掛軸は未だに人気があるのです。
ただし、日本で見つかる中国の掛軸であっても、値段のつかないものや贋作も多く、非常に落差が大きいのが中国掛軸です。

中国掛軸はどこから見つかる?

呂紀
呂紀「杏花孔雀図」

偽物やお土産品も多い中国掛軸。
どんな経路を辿ったものなら期待ができるのでしょう?

2007年、中国国家文物局は中国文物の海外持ち出し基準を改定し、1911年以前の文物が持ち出し禁止になりました。そのため、最近20年で中国の骨董市・美術館で購入した美術品や骨董品については、あまり高値が期待できません。

40、50年以上前から家にあった掛軸

1966年の文化革命により、日本に亡命してきた文化人とともに、中国美術も日本に入ってきました。
毛沢東による文化革命の時代、過去の文化が否定され、貴重な中国美術が大量に失われたとされていますが、この際日本に逃れた美術品が多くありました。当然、軽くて簡単に持ち出しができる掛軸は数多く日本に入ってきたと思われます。
この頃、中国要人や中国留学生との交流があった方がお身内にいらっしゃる場合は期待できるものを譲り受けている可能性があります。

梁楷
梁楷「溌墨仙人図」

さらに遡れば清朝末期、義和団事件 (1899~1900年)や辛亥革命(1911年)による混乱においても同様に貴重な中国美術が日本人の手に渡りました。
義和団事件で略奪された文物は北京の市に集まり、各列強の商人の手に渡りましたが、その中には日本人美術商が存在しました。
辛亥革命後は、政情不安や混乱の中、清朝権力層が大量の美術品を換金することとなり、多くが海外に流出し、日本に入ってきたものも多数存在します。
また、清末に活躍した政治家や芸術家の亡命も多くあり、彼らは滞在中に日本各地で書などの作品を残しています。

明治・大正にかけて、お金持ちだったり熱心な美術品愛好家だったご先祖がいらっしゃれば、この時代に手に入れた可能性もあります。

またもっと遡れば、古くは遣唐使や日宋貿易の時代から、中国の文物は日本に渡って来ています。

これらのことから、1970年代以前に入手したと思われる中国掛軸には期待が持てるのではないでしょうか?
祖父や曽祖父が中国で仕事をしていたとか、祖父や曽祖父がその時代に中国文化人や留学生と交流があったなど、思い当たることがあれば、お手元の掛軸は貴重な中国掛軸かもしれません。
古いお宅で、現在の持ち主の把握していないものの中から、日本の掛軸に混じって中国掛軸の名品が見つかることも多々あります。

贋作について

中国掛軸も古くからあるものが良いんだなとお分かりいただけたと思いますが、ただ、古くから贋作があるのが中国掛軸。本物と見紛う品も存在します。

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